日本財団 図書館


 

当番医もなく私はただおろおろするばかりでした。
私は聴覚障害で言葉が話せない人がいるということすら知りませんでした。毎日朝がくると「今日は何か言いたすのではないか」と、いろんな音で試し、「何かのタイミングで聞こえだすのではないか」と期待していました。しかし、そんなことは慰みに過ぎません。
「これではいけない、なんとかしなくては」とあっちこっちと病院へ連れて行き診察してもらったが結果は、「どうも聞こえていないようです」との返事でした。その言葉を聞いたときの気持ち、涙で目の前が真っ暗になったことは、今でも忘れることができません。
病院からの帰り道、これから先のことを思うと悲しくて、「母子心中しようか」と思ったこともありました。またできることなら、「二人で片方ずつの耳を分け合うのに」と、叶わぬことを真顔で話したこともありました。
「なんで家の子だけ、こんなことになったのか」と、暗く沈んで、他人に会うのもいやでした。子供も親の私に思いが伝わらず、積み木を電球に投げつけ、下にいた私の頭に電球の割れた破片が降りかかったこともありました。
家の中ばかりでは飽きるので、戸外に出るときはいつも音の出る物を身に付けさせ、少し離れてもわかるようにしていました。そのころ、保育園に通う子を見かけると、わが子はカバンをさげて家の中を歩き回ります。そんな姿を見ていると不偶でなりません。思い余って三歳児検診でお世話になった保健婦さんに相談したら、児童相談所を教えてくれ、そこで、ろう学校のあることを知りました。

 

 

 

前ページ   目次へ   次ページ

 






日本財団図書館は、日本財団が運営しています。

  • 日本財団 THE NIPPON FOUNDATION